現在職を探している萬年建築学生の文章。これを書くことで気持ちの整理、客観的な自己の見直しを期待。建築ネタに拘らない。
January 2008
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2008/01/30

人は頭でモノを見る

周りの人達が描いている絵を見まわして、マリコは改めて写生の意味を考える。

ルネサンス以来、西洋の絵画にとって写生の意義は大きいし、近代では印象派を持ち出すまでもなく、アカデミーにおいても制作の大前提だよね。でも、一般的には、絵を描くいう時、必ずしもその時にモデルを眼前にする訳ではないから、花を描く時には、既に持っている花の記憶に従って、あるいは、花の絵を思い出しながら描くということ。

マリコには、向こうに活けてある花と隣の人の絵の印象がうまく重ならない。茎の伸びやかさや葉のまとまりや広がりが、ほとんど無視されているように感じるのだ。つまり問題は花弁の色とそのボリュームに集約されていて、絵具を厚く乗せてそれを再現するのが皆の課題なのだ。上手に色をつくる人のキャンバスをしばらく眺めたが、マリコの違和感は消えない。

ふと、建築でも同じだろうかと考え始めた。建築を理解することが、矮小化された「コンセプト」を受け取ること、痩せ細った解釈を引き受けることになってはいないだろうか。今の在り方が健全だと考えていいのか。そんな思いが胸中に浮かんだ。

大体、作者の説明するコンセプトを丸まま受け入れるなんて、安直過ぎる。これはこう考えて出てきた、なんて言葉を信じちゃいけないんだから。もしも本人がそう信じていたとしても、実はその人の意識しない所で、別のものから強い影響を受けていたなんてことがあるでしょう。目の前の花を描くつもりが、憧れを込めて理想化したイメージしか描けないということ。そんな見方をを否定すると、歴史解釈を全く受け付けないことになる。

でも世の中そんな話ばかり。なんでそんなに作者の意向を気にするのだろう。掃いて捨てる程うじゃうじゃ湧いてくるのに。好き勝手にお気楽な話をしていい気になってるのに。自意識過剰な奴ばかりじゃない。

Filed under: 日日 — cova @ 20:21
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2008/01/27

はっきりとした構造があるが意味がわからない

マリコが Palla 氏の展示を見に奈良へ出掛けた。冬のどんよりした雲の下、会場の図書館まで地図を頼りに歩く。Web で画像処理は見ていたのだが、ここのところ大きくテーマが変わってきていて、Palla 氏らしさと感じていた手法がどこかへ行ったように感じていた。腑に落ちないのだ。それで確かめに出向くことにしたのだった。

会場へ着いて展示を目の当りにしても、マリコには暫くピンと来なかった。これまでとは違い、写真は縦長の九枚の大きな短冊に断ち切られている。これが少し間を空けて前五枚、後四枚と二列に分けられている。写真が裁断されて、バラバラにされて、ひとつの絵としては見えなかったが、作品から少し斜めに七、八メートル程離れた一点から見ると、隙間無く継るようになっていた。床に靴跡のマークを示して、そこから見るように促している。マリコは透視図法を見付けて、やっと落ち着いて見れるようになった。

日が暮れていく中で、イベントが始まる。始まるとは言っても、誰も何時始まったのか戸惑うような始まり方だ。マリコは暫くじっと考えながら眺めていたが、少しメモを取るとまだ新しい図書館の内外を見に回ったりした。イベントを見ているよりも、あちこちを歩くのが長くて、結局メモ帳書き留めたのは具体性のない短い文章だった。

写真、動画映像、音楽の三者で調子を合わせている。身体感覚的な素材を切り取って原情報とし、抽象的に操作処理するという手法が共通する。しかし、全体の意味付やそれぞれの役割があやふやな印象を残す。プログラ厶や輪郭が分からず、モチベーションが感じられない表現のためだ。

環境となってしまった「中心の不在」をどこまで広げられるかが主題と言える。しかし作者は「不在」を無意識で肯定していて、問題として捉えてはいない。

展示の裏を建物の外から見るPALLALINK in Nara

Filed under: 日日 — cova @ 02:41
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2008/01/17

冬の朝に高山を歩く

待合せの時刻まで一時間あるので、重太郎は朝市をあてにして市内を歩くことにする。

ダウンを着て、毛糸の手袋をしても寒さが染みる。アスファルトの上に溥く寝雪が凍るので気をつけて歩く。よちよちとなるので、落ち着いた風情の雪景色が楽しいが、やがて足先から寒さがさらに染みてくる。ひとつ角を曲がり、アーケードの通りへ出て、左右の店々を確かめながら進む。

すると三重塔が見える。よく見ると意外に近い。道を横切って案内板の大きな字を読むと「重要文化財」とある。国分寺はこんな所なのだ。境内がアーケード通りに接するなんて、今も地域の活らしの中で使われているのか。重文の本堂は室町期のものらしい。室町!綺麗に残るこの建物が室町期の姿と変わらないとしたら、貴重な遺構だ。こんなものがあるのか。不勉強に苦笑する。

街の建物は低層で、路が広いので、スカスカだ。車は凍結した道を売るのでスピードを出さないし、よそ者にはのどかな暮らしに映る。こちらが先入観でものを考えているのか。ただ、寂れた様子がなく、結構商店街が続き、ひょっこり表われた神社も手が行き届いている。地方の中核都市として栄えているのだろう。街中には幾つもの洋館が驚くほど綺麗に残っていて、飲食店になっている。小気味いい。洋館の写真を撮りに橋を渡れば、また橋からの眺めがいい。里山の林を背景に、川の両岸に民家がうっすら雪を積らせて並ぶ。いかにも冬らしい。

ただ、洋館のオーダーの意匠がいかにも奇妙だ。梁のはずの部分をアーチで表したり、メトープが角角と曲げられたり、柱の基礎どうしの間に布基礎の立上りをつくらずに煉瓦の表現で埋めていたりする。勿論オーダーはカ学構造とは関係なく描かれる装飾意匠なのだから、自由であってもよいのだが、目茶苦茶をするのではオーダーを持ち出す意味がなくなる。馬鹿なことをするぐらいなら、はなから使わないのが本来だ。高山の洋館は意図したものではないが、知らないままに自由な装飾意匠として見て取った結果なのだろう。そこが面白い。

そんなこんなで道草を食って、陣屋へ着くのが遅くなる。朝市とはいっても、店は六、七軒。一軒目でひっかかり、とち入の餅、ほうば味噌、赤かぶ漬を買う。もうすでに時間がなくなり、急いで戻る頃になっている。

高山の洋館 その1高山の洋館 その2高山の洋館 その3

Filed under: 日日 — cova @ 23:59
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2008/01/06

市蔵、備前探訪を記す

朝から18切符を懐にして、一路備前へ向かう。大阪を過ぎて尼崎、神戸三宮、明石、加古川、姫路と列車が走り、相生で乗換える。鈍行でゆっくり小一時間行くと持合せの駅に辿りついた。閑谷学校が今日のお目当てだ。国宝と言うからには、いいものなのだろうと期待する。車で拾ってもらうと大した時間も掛からなかった。
閑谷学校講堂外観閑谷学校講堂内観

軽い気持ちで出て来たので、ロクに調べていない。ひと塊の建物群が中国調なのを見て意外に感じる。連れの話をきき、立札の説明を読んでようやく由来を知る。元は備前池田潘の潘校だったもので、潘主の儒学への傾倒のために中国の意匠を用いたのだと理解する。

屋根が黄色の瓦で葺かれているが備前焼とのこと。見ていて、あれ、どこか妙だと感じる。よく見れば、入母屋の屋根の中程に段がつけてある。すぐには思い出せず、友人に話しても駄目だったが、しばらくすると、ふと思い出した。錏葺だ。あの法隆寺金堂の屋根と同じ葺き方なのだ。珍しいはずなのだが、中国風にしようとするとこうなるのか。
資料館

後で資料館へも行ったが、かつてどんな風だったのか分からない。建物はいいものだし、綺麗に残っているのだが、家具調度品がすっかり失せているので当時の様子が全然想像出来ない。植木のない地べたが横に広がって、ぽかんと建物が建つせいもあるだろう。しかし、国宝の講堂だけでなく資料館となった洋館にしても、ここのものは皆意匠が凝っていて丁寧に使われた様子だ。さぞや地域の誉れだったのだろう。

やや遅目の昼食からは海の方へ下った。備前焼の地である。伊部の備前焼の美術館を訪ねる。古備前の品品を次次に見ると、これまでの印象が一掃される。釉薬をかけない自然釉という説明がくどく繰り返されるものだから、天の邪鬼に臍を曲げていた。偶然の焼き上がりがどうした、と思っていた。ところが直接見た古備前の肌は深みがあり、材質感、艶がしっくりと来る。フォルムもケレン味なく美しい。実際にモノを目にしなければいけないのかと改めて思った。

今は帰りの電車の中。土産にままかりを携えている。他に湯飲みがひとつ。凪いできらきらと光る水面の光景を思い出しながら、暇を持て余している。

Filed under: 日日 — cova @ 01:36
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2008/01/01

設計する時の気持ち

昨年の暮になって、仕事で設計をする機会を初めて得た。幹線道路に面した店舗で、大きなことは期待されていない。相手先が何を求めているかを聞き出しに行くのだが、手ぶらでは行けないし何か考えろということだった。制約も多い。何よりもお金をかけられない。五万でも削りたいのだ。

最初は前例に手を入れる程度でいいのだろうと考えていたが、しかし、そうやって持って行くと違うと言う。これでは何にも提案してないじゃないか、大体こいつはもう見たくもないんだと吐き捨てる。暫く強い言葉を浴びている間に状況が分かってきて、緊張して頭が回らなくなった。これは俺に設計しろということじゃないか。そう思うと、悪い癖ですっかり身構えてしまう。ここにこんなチャンスがあるんだ、と。色色と回り道してきたが、これまで建物をデザインする仕事にありつくことがなかったから、すぐ大層に考える。

年甲斐もなく、設計の仕事に憧れている。それを感じながらも、緊張のあまり照れ臭くも思わない。この歳で、こんなに喜ぶ奴もいないのだろうが、ぴぃーんと張り詰めた感覚が占領してしまい、他のことが耳に入らない。

同じ様なことが前にもあった。これは恥ずかしい話で、もう一昔では効かなくなった程遠い話だ。絵を描いていて背後の会話を聞くとは無しに聞いていた時のこと。二十代半ばの綺麗な女に、横の男が話しかけた。仕事をされているんですか、どんなところへお勤めですか。こっちは絵を描いているが、やはり女は気になるし、男がちょっかいをかけ始めて、そちらに意識が集中する。女が答える。建築の設計事務所に勤めているんです、と。思わず振り返った。考える間もなく振り返ってしまったが、感情がわっと出てきて何か言いいたいのに何にも言葉にならない。しばらく口を開いたまま女の顔を見ていたが、恥ずかしさの余りに何にも言わないままついと元に戻った。そんな鮮やかな感情を奥底に抱えていたことが、その時はっきりと分かった。

どうしようもない感情なのだ。その刹那、一瞬で覆いつくされてしまう。もういい歳なのに、と重太郎は思う。だが、自分でも吃驚する程鮮やかな感情は、後味がいい。暫く楽しませてもらおう。

Filed under: 日日 — cova @ 04:49
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