actual な問題を再び考える
この頃は、お金に絡んで社会が変わっていると思う。貧富の差が拡がるというが、とかく大きな資本に社会が左右されることが多い。身近な所では、駅前の景観が目まぐるしく変わる。不況不況と五月蝿くいわれていた時期でも、変化が止まってしまうことはなかった。そうしている間に、都心の商業中心地は、その時時の経済的な成功者がパフォーマンスする舞台となったんだと思う。入れ換わり立ち換わり、忙しく出入り。これでは地域社会を支える役目は与えられない。お蔭で調整役となるはずの互助組織がなくなってしまって、大企業の活動が直接的に生活に響いてくる。
こうした社会情勢が建築にも反映される。施主が経済的な成功者に限られるのだから、これは仕方がない。今やモードを牛耳る有名ブランドが、著名建築家の重要な施主だ。次次に建てられる服飾の店舗が建築雑誌を賑わす。その設計は、どうやって戦略に沿ったパフォーマンスを実現するかにかかっている。より直接的で、より機敏で、より効果的であることが求められる。こうなれば建築そのものの主張なんか吹き飛ばされてしまう。企業のメッセージを建築の形にしたモノが歓迎される。飛んでもない規模の建物が、呆れる程の短期間で実施されるようになったのは、こうした背景があるのじゃないか。
では、建築は新たにどんな社会的機能を担ったのか?
調整役ではないだろう。少なくとも積極的に社会と企業を取り持つことはない。記録係でもなし。行為の実施者、いや、下請か代理人といったところか。それなら何の代理人というのか。企業が社会に対するのに代理人を使うのか。だとすれば、代理人が企業の社会的責任を逃れさせ、限度を超えて金を求める時には、経済に振り回される今の社会が破綻するのだろうか。際どい立場になったものだ。
代理人が存在する理由は、市場が出来ることだろう。短絡的楽観的に考えれば、不動産市場が大きくなって取り引きがスムーズになり、長期的に価値が上がって行くことになる。もし建築家が市場機構に介入する社会的調整機能を望むなら、そのためのモノを設計に埋め込まなければならない。だが、その役目に拘ることの是非は、判断に迷う。
市場の支配を目指すのが、順当な方策だろうか。
市蔵のノートより

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