茂木健一郎『生きて死ぬ私』ちくま文庫 (徳間書店 1998)
この頃、重太郎は「プロフェッショナル」という番組をちょくちょく見ている。タイトルどおり、その道を究めた専門職をひとりずつ紹介するのだが、その番組でゲストを迎え、インタヴューするのが茂木だ。脳科学者としてテレビをはじめ様様なメディアを賑わしている。
番組中、インタヴユーする茂木はいまひとつはっきりとしないこもった口調でやんわりと質問をする。その質問は柔らかな印象ながら的を得ている。落ち着いた会話の中で、理知的なテーマが浮かんでは消えてゆく感じ。興味をそそられる。切れ者といった類とは一線を画した、まるでぼんやりとした感覚の中に漂っているかのような印象である。ユニークだ。
重太郎は、茂木の文章が入試問題や模擬テストでの出題に良く使われると知って、読んでみようかという気になった。駅前の本屋で探すと、二、三の文庫本が見つかった。脳科学そのものよりエッセイの方が良く出題されるだろうと考えて、初期のエッセイを購入する。電車に乗ってページをめくりはじめると、すぐになるほどと感じるようになった。
テレビでの語り口のようにやさしい言葉遣い。専門用語やカタカナ語が少ない。話は日常の生活で感じたことをきっかけにして、すっと自問を始め、時間や死といった哲学的な、それでいて身近なことをあれこれ考えながら進んでいく。かつて通り過ぎた思春期には、こんなことを考えていたなぁ、と重太郎は考えた。
脳科学者が、こんな哲学の問題を抱えているとは知らなかった。片田舎の酒場での会話や、昆虫採集、研究のためにウサギを殺したこと、箱庭療法の体験談、幼馴染の死。どれもがふわふわと落ち着きなく重太郎の胸の内を漂う。全体像とか世界観や体系といったものがない。あるのは、私がこう感じた、こう考えられる、こんな様子が見えるという主観の世界。それでいて話に筋ができている。茂木が物理学や哲学、生物学に詳しいことも分かる。
重太郎は感心していた。
何といっても、こだわりが綺麗に消されてしまっていて、ちからみが感じられないのが驚きだな。頭のいい人に、これをやられたら太刀打ちできない。
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