文様になった都市の姿とその広がり
pallalink の見方を誤っていたので、修正したい。展覧会の印象だけで前に投稿したが、改めてサイトを見ていると、違ったものが見えてきたからだ。言い訳をすると、大きな作品をぐにゃりと曲げて見せることを優先していたので、展示点数が少なかった。フォトログとなっているオリジナルは、時系列でずるずる作品群を手繰る仕組みなので、別物だと感じる。その辺りに焦点を合わせようとしながら、曖昧で勝手な記憶に頼ったのが失敗の原因だった。
さて、何を間違ったのか。ひとつには “「本来のオブジェクト」を反射させて作品が創られている” としたことだ。彼の作品は、反射と云うような一回こっきりの反応ではなく、連続的な動作の産物なのだし、そんな言葉ではあの広がりを感じさせる空間を捕まえていない。あの広がりを云うには、反復の方がいいだろうし、「オブジェクト」の循環を捕まえるのが先決だ。
彼が案内書に云う「グレーゾーン」とは、普段振り向かれることのない都市建造物たる「本来のオブジェクト」のことだろう。と云うことは、作家は構図に挑んでいるつもりはないのだ。都市の中で彼が見つけ出した「オブジェクト」は打ち捨てられていて、そうした別段、意味が認められていないところを敢えて見つめる。見つけたものは彼にとっても深層を引き出すモチーフではあるが、関心は専ら反復プログラムへ向かっている。そう彼は云っている。
しかし、構図の概念、フレームという切り取りを揺るがしていることの方がずっと面白い。埒外をプログラムで埋めたことによって、境界が遥か彼方へ逝ってしまっていて、今は見えていないフレームの外側にも同じ姿が延々と続く感覚が新鮮なのだ。その所為か、中には一極集中の放射状の構図があるのだが、それでは振るわない。外へ行って薄くなるようだと駄目で、捻る様な具合ででも、安定して循環する冗長的な作品が魅力的だ。
また、その冗長によって、都市景観が文様と化している点も特徴だろう。全く人工的に作り出された意匠、唐草文だとか雷文だとかいった文様ならば見慣れているが、景観と化した建造物などと云う半死状態で埋もれたものをカメラで掬い、半分生っぽいままに文様にしたから気になるのではないか。しかも、一旦引っ張り出しておきながら、意味を剥奪して記号に貶めてしまう。見えていないものを取り出しておきながら、返す刀でぐしゃぐしゃにしてしまう。一人で勝手にぐるぐるやっている。自分の尻尾に噛み付くウロボロスのようだ、と云っては云い過ぎか。
作家にとって展覧会とはメルクマールだろう。基準、区切りであるはずだ。だから通過儀礼となり、フレームワークとなっても不思議ではない。それはずっと続いていることだし、悪いものではないのだが、彼が避けるのもまた仕方がないことだろうか。意味や形、存在といった古典の特徴を否定しようとしているのだから。ならば言説化と云う彼にとっての迷惑は、他のものに投げられているのだろう。そう考える。

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