現在職を探している萬年建築学生の文章。これを書くことで気持ちの整理、客観的な自己の見直しを期待。建築ネタに拘らない。
March 2005
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2005/03/30

ぐるっと廻ってどう変わったのか

昨日のままではだめだと思う。もう少し考えてみる。

要は、長谷川の逸子さんの設計は、分かり難さがない、分かり易くなった。玄人の仕事の手の込んだ細工がない。しかし、これは短所ではない。素人じみたものがいけない訳ではない。

建築が活性するなら、大概のことは許されていいだろう。意識的にエグ味やひつこさを出すのも結構だ。例えて言うなら、ラーメンの味付けは、上品な調和を求めるのではなく、脂の濃厚な味を強烈にぶつけるのが多いくらいだが、かえってそれが好まれる。そういうアプローチもありだと思う。

長谷川さんちの仕事がそうだというのではない。ぐるっと一巡りして、設計が濃厚な味付けになったと言うよりも、むしろ灰汁が抜けたように感じる。すっきりして後味爽やか。「建築設計はこうでなければならない!」という主義主張、信念、思い込み、押し付けがなくなったのだ。ブルータリズムと揶揄される状況がない。なんと素晴らしいことか。

モダニズムが本来の自由を獲得して、その可能性を遺憾なく発揮する環境が整ったのじゃないか。そんな風に期待する。

Filed under: — cova @ 23:50
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2005/03/29

世の中いつのまにかお利口さんプランに戻る

普段は見ないんだけど、今日本屋へ立ち寄った時に何となく「新建築」をぱらぱら。今月、3月号の目玉は長谷川の逸子さん。頭から一丁、二丁。そして目が点に。何だ、何だこれは。何の変哲もない設計じゃないか。ふつー過ぎる。

「静岡大成中学校・高等学校」。まるで学生の設計演習のプランじゃないの。まずは、カーテンウォールにして立面の制約ないです、何でも好きな絵がかけます、にしました。それから、パンチング・メタルに決めて、ぐるっと巻いて、割り付けて。後でちょこっと窓の割付を斜にしたら、はいできあがり?

お次の「T-HOUSE」はコンペでよく見かけそう。部屋をいっこずつ籠にして、あ、ダメだよ、大体の規格は決めておいてね。昔はモジュールって言って、みんなこれに凝ってたんだから、ひどいのやっちゃうと恥ずかしいから。そうすると、ほら、くっつけやすくなってるでしょ。壁の半分ぐらいは硝子にしててね。なんて調子でやっつけるのかな。でも、んー、長谷川センセでも選ばないでしょ、この類は。だってこの程度じゃパンチが効いてないから。

かつて皆がこんな感じのお行儀のいいプランニングしてたんだよね。30年前はみんながこんなのやってたよ。ま、基本的にはね、ザックリ言ってさ、嫌いじゃないよ、確かに。でもなぁ、面白くないんだよなぁ。だって、やってること一目でわかるから。もう後で見る気がしない、そんなのだったらドウデモいいでしょ。

こんなのみんなで担いでるの。からかってるんじゃないの、ほんとは。

Filed under: — cova @ 23:53
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2005/03/26

4-4-2 は苦手みたい

サッカー、ワールドカップ・アジア地区最終予選リーグ第二戦、イラン-日本、結果は2-1。

うーん。対人プレーに弱さがあると、中央の厚い 3-5-2 の方がいいんじゃない? センターバックの宮本は高いの駄目だし、ちょびっと離れてプレーすることが多いしね。誰にせよ、ゴール正面の1対1でドリブルを仕掛けられるとはらはらする。密集したところでのプレーも、個人プレー主体の国が得意だと思う。だから次のバーレーン戦も、そこんとこ気を付けなきゃね。

アー、つえーセンターバック、もう一、二枚育ってこねぇかなぁー、ほしーなぁー。

それにしても、玉田がコケコケで、中田英が前半の間パスをミスミスして、中村が初めのほーで蟹バサミされて、そこへきて高原がトラップ下手っぴじゃぁ、攻撃の組み立てが難しかったね。

今回はジーコが策に溺れちゃいました。あぁーあ。

Filed under: 蹴鞠 — cova @ 01:00
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2005/03/24

雨にヤオイ系地下美術館

nmao

雨の中、今日は国立国際美術館中国国宝展へ行って来た。あの「金縷玉衣」が展示されているというので気になっていたのだが、出不精は如何ともし難く、会期が迫ってようやく重い腰を上げる気になった。この週末で大阪の展覧会が終わってしまうのだが、できれば平日に観たい。しかし、明日、金曜は心置きなくサッカー観戦がしたい。なら今日しかないじゃないかと、ようやく思い至った。

さて、その展覧会はというと、なかなか面白かったなぁ、というのが総括的な感想だ。展示物は大きく二つに分類される。仏教以前と以後なのだが、総体的な質は「以前」の部門、近年の考古学調査によって出土したものに軍配が上がる。玉や青銅器が主体となっているが、とにかく形がいい。西洋のプロポーション概念の影響が見当たらず、独自の美的感覚と技術から出来ているのではないかと思う。作業の積み重ねと、職人的感覚の洗練を見たような気がした。

というのは、後半の仏教美術になると、打って変わって装飾が減り、のっぺりとした面が多くなるからだ。思念的な審美の感覚によって造形が歪められたと感じたわけだ。多くは仏像なので人形が並ぶのだが、脚の組み方、手の合わせ方に意味を持たせているので、写実的なリアルな感じはどうでもよさそうで、観察眼に欠ける印象。大体顔つきや服装がインドっぽいから、いかにも憧れ先行型の頭でっかちな人の造形に見える。彫刻としても、まだまだやるべきことがあるだろう。

しかしこれはうがった見方、予断に侵された思い込みなわけで、意識的に補正しなけりゃいけない。

で、今度は美術館建物の話。正直、印象が薄い。だって地面の下に隠れてるんだから。上では、だからどうしたという、パイプ曲げのお遊びがあって、硝子が嵌め込まれた籠の風情のエントランスがあるのだが、地下室内装がまだお金をかけて質を上げているのに、あんなぶっといパイプを曲げたところで大して面白くもない。切れがないと言ってもいいかな。もっと言うと、微妙に安っぽい。そんなに形が悪いとは思わないのだが、ヤマなし落ちなし意味なし。いやぁ、建築にもヤオイ系があったなんて知りませんでしたねぇ。

いやいや、そんな話はさておいて、ちゃんと活動しないといけないなと、帰る道すがら感じたのでありました。楽しいんだからねぇ、もっと動けよぉ。

Filed under: — cova @ 23:59
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2005/03/22

頼りになるものは好い加減なもの

ここのところ、明らかに更新頻度が落ちたのだが、それにはそれなりの事情がある。机の前にいなかったのだ。文章を書く時間も極端に少なくなった。だから、堪らなくなった仕事から遠ざかるためにブログを更新する必要がなくなったというわけだ。そう、このブログは気まぐれな息抜きの産物だ。

先月の中旬から明らかにやらねばならない仕事が滞っている。旅行をしたし、初めて建築とは関係の無い普通の人達を相手に講演をやってみたし、学会で発表したし、最近ご無沙汰していた何人かの人達と会ったのだから、仕方が無い。もう随分な期間、机にべったりと貼り付くような日々を送っていたから、久々のことがあれこれと続けば、連続パンチのような刺激のシャワーを浴びて、自分を理屈でコントロールできなくなってしまった。お陰で暇ができても、やるべき仕事が手につかない。

そんな時は、何でもいいから、ちょっとでも気が向くデスクワークをすることにしている。できれば深く考えずにできる、しかし際限なく続く単純作業なんかが好都合だが、気軽にブログを書き始めるのも悪くない。これはそんなエントリーなのだ。頭の中に抱え込んだ問題、何だかよく分からない理解に苦しむ事柄は、今は持っていないので、何となく自分勝手な話しを誰だか知らない人にする気分でタイプしている。そうすると、自分の気分に整理がついてくる。そういう自分なりの身の処し方が、何時の頃からかありがたく感じ、人の目を気にせずに身を預けるようにしている。

どうやら自分は進むべき方向を見直し修正する時期を迎えている、と感じている。そう思えるような心理的状況が今はある、と感じている。それが証拠に、久々に、しかし強めに、読書欲に憑かれている。また、仕事や家内経済が相当のピンチでありながら、自分は大丈夫だという変な自信、いわれの無い思い上がりが、どっかりと巣食っている。

これまでも、この感覚を頼りにしてきたし、それで大きな間違いをしてこなかったから、今度もまたそうする。そんな好い加減なことだ。

Filed under: 日日 — cova @ 20:24
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2005/03/20

福岡県西方沖に地震あり

20日午前10時53分ごろ、福岡県および佐賀県南部で震度6弱を観測する地震が起こった。震源地は福岡県西方沖、震源の深さは9キロ、マグニチュード(M)は7・0と報道されている。

程なく空港、鉄道、自動車道路といった交通が封鎖された。福岡空港は1、2時間ほど点検している間、離発着を見合わせたが、比較的早く機能を回復した。その後、高速道路も順次封鎖が解かれた。鉄道も、地下鉄や新幹線を含め夕方までに運転を再開している。

水道やガス、電話は場所により寸断されたが、それほど広域ではなく、ある知人の話から推察すると、断層線から離れた地域では、被害は小さいようだ。

今回の地震は、大きな地震が想定されていなかった地域で起こっている。どこに重点を置いて地震対策を考えるのか、かなり根本的に見直すべきだろう。

地震の被害は、阪神淡路大震災と比べるとそれほど大きくない。震源地に近い玄界島の被害がヘリコプターからの中継がテレビで放映されたが、それを見た限り、石垣が崩れるなど地盤に問題があるようだ。建物については、倒壊したのは古い木造家屋が多かった。屋根瓦がごっそりと落ちてしまい、土ばかりになってしまった屋根もあったが、施工後かなり年数が経っていたような印象を受けるものだった。建築の立場からは、今のところ、建物の耐震についてはこれまでの方針を覆す必要はないようだ。

Filed under: 住まう — cova @ 20:28
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2005/03/14

およよ大失敗の巻

そもそもの作業は、普段使っている PC のマザーボードと CPU の交換。やっぱりブルースクリーンを迎えたところまではどうということはなかったのだが、じゃっ、面倒臭いしインストールし直すかと重い腰を上げて、各種アップデートを進めていた矢先、HDD というか、パーティション? ファイルシステム? がおかしくなったとのアラートが出て、うっかりリブートをかけたら、壊れてしまいました。ストレージが。

こんな時はバックアップも最低限しかとっていないし、結構時間の掛かった嵩張る画像ファイル等々を諦め、翌日(昨日)新しく HDD を買って、新たに仕切り直しすることにして、泣く泣く布団に入った。こういう時は気を静めるのが、とても大事で、慌てると被害が雪達磨のようにでかくなることを、これまで何度か経験している。ボード換えるのは5年ぶりかな。それにしても、毎回やっているような気がして、少々悔しい。

ま、何とかシステムを立て直しつつある状況。今度はサブシステムも手に入れたことだし、環境としては整備が進んだと思う。部屋に嵩張るものが増えたという問題は、当面考えない方向で取り合えず先送り中。

Filed under: 日日 — cova @ 12:22
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2005/03/11

九州にて久闊を叙する

桜島

鹿児島や福岡へ出掛け、暫くご無沙汰していた各方面の大学関係者にお会いしてきたけど、どちらさんも大学改革の波に洗われていらっしゃるご様子でした。学生が減りそうだとか、担当講義が減ったとか。こちらの職探しには、すっかりスルー対応で、想定の範囲内ど真ん中。結果はそんなものだろうが、その時の感触から想像を大きく働かせて勘繰ってみた。「段々と居心地が悪くなって不味いなぁ。自分たちが食い詰めることはないとは思うし、今更大きく生活が変わるのは面倒だけど、そうもいかないだろうし、どの辺が適当だろうかね。」という所じゃないかと。

どこの大学研究室でも、雰囲気が何時の間にか変わってきている様子だ。中堅ないし若手の教員は、往々にして、腹芸が全く出来ない。どこかの実業家のように、「資本主義のルール」を行動原理に据えて、陣取り合戦、人海戦術肉弾戦をやっている古狸をせせら笑いながら、一撃を与える隙を窺っている。シニカルと言えば少々賢しく聞こえるが、意気地のない凡人が武器を手に入れて野心を宿しているだけのような気がする。兵法をきちんと収めたわけでもないだろう。教科書に一通り目を通しただけで、長い人生をやっていけるなら世話はない。

どうして自分自身の状況を見誤るのか。それも子供じみた考えで。

近頃槍玉に挙げられているある若手教授の話しを聞くにつれ、その教授殿自身に社会経験が著しく不足していることが、学内政治や学生指導の各局面で、基本的判断を間違わせる原因になっているのだろうと思うようになった。地位を手に入れても自分自身に不安を感じていて、何か既成のものに保証して欲しいと強く願っている。そのために契約を結ぶ。相手が、古狸か香具師かお調子者か予測不可能な宇宙人か確かめる前に、もう信じることに決めている。その時に予想される前提が、未来永劫その範囲を超えないことも自明らしい。

あんた、先行きに不安を感じるのは、どんなに今頭を捻っても、一寸先は闇の中だからじゃない。何にすがっても、誰に責任を追及するにしても、あんたの未来はあんたが受け止めるんだよ。だって、そういうポストにいるんだから。

一方、総じて学生は学生で真面目になっているらしい。教師の言うことを真に受けて、それに応えるべく頑張るのだから、本来はけちをつけるところではないけど、でもねぇ、悪い面もしっかり出ているからね。それもまた社会経験の不足から来ているんじゃないでしょうか。特にそう言わなくても、分かっていいはずの事が感じ取れない。何処まで学生には裁量が許されるのか。時と場合によってどう話しが変わるのか。そんなものを一々語りだしたら切りがないし、系統だっていないものを短期間で伝授するなんて出来ない。

どうして研究室という制度があるのか。それを考えるべきじゃないかと思う。それぞれユニークな形態だから普段は意識しないが、研究室は小さな社会に違いない。その社会を継承する意義や、その時その時の運営や改革の重みをもっと感じてもいい。大雑把な目論見だけで行動するのは大学にいるようなインテリがすることじゃないよ。時間に迫られて、不安に煽られて、孤独に耐えられなくて、甘言に弄ばれて、道を見失った時こそ、自己と社会の繋がりを思い出して欲しいんだけど。

Filed under: 日日 — cova @ 00:44
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2005/03/03

安藤忠雄はよくわからないからいい

鹿児島大学

悪い癖で、サイトに手を入れるのを暫く怠ると、ぷつっと糸が切れたように意欲がなくなってしまう。またもや一ヶ月あまりでブログの更新が途絶えている。

その間は旅行に出かけていたこともあるが、ウチダ教授の世界にすっかり浸ってしまい、貪るように、いや、痛飲するようにテクストを読んでいた。その心地よい世界に酔いながら、何度「教授はエライ」と心の中で叫んだことか。

そんな折にふと思い浮かぶネタが幾つかあった。大方は忘れてしまったが、残った数少ない物のひとつは、「安藤忠雄の設計はよく分からないから売れるのではないか」という疑問だ。玄人目にどう映っているかはともかく、施主側から、利用者から見ると、安藤の設計は日常的に使っている建物と全く違った価値観から出来上がっている。コンクリート打ちっ放し、骨太で幾何学的に単純な形態、がらんとした室内の様子。意欲ばかりがよく伝わるアグレッシヴな安藤のセールストークも加えていいかも知れない。

モダニズムにすっかり慣れてしまった建築家にとっては、どうと言うことではないコンクリート打ちっ放しが、普通の人には鮮烈な衝撃を与えることがよくある。そのショックを嫌う意見が少なくないものの、よくよく考えてみると、コンクリートの得体の知れない怖さは、イージーな値踏みを阻む要素だ。素人には推し量れない領域に建築家が暮らしている、どうやら大工の辰っつあんとはまるで違う世界の人らしい。一応、言葉は使えるようだけど、、、。なぁんて感じるのじゃないか。

これまで「透明性」、「情報開示」という言葉に惑わされて、すべて手の内を晒して建築家の仕事を理解してもらうことが、自分達の社会的使命のように感じてきた。でも、そうやっていくら頑張っても足元を見られるだけで終わってしまう。そんな経験を積み重ねて、知らぬ間に随分と凹んでしまっていたが、「ウチダ教授の教え」に一条の光を見た思いだ。

これはやってみる価値あり、でしょ。

Filed under: — cova @ 10:44
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