現在職を探している萬年建築学生の文章。これを書くことで気持ちの整理、客観的な自己の見直しを期待。建築ネタに拘らない。
January 2005
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2005/01/28

首都大学東京を巡る論議の中で

blog 「内田樹の研究室」での2005年01月20日のエントリーが引き金となって、「くびだい」の人文学分野切り捨てに対する面当てや、それを反動として捉えからかうかのような意見さえ乱れ飛んでいる。事態を整理しようとする動きも、時代の流れとして受け止めるべきだ、対応が拙かったのだから仕方ないじゃないか、という外野からの御節介な執り成しがベースになっている。最早コトが決まってしまい、引き戻せなくなっている今、外野ができるせめてものことは、「大学とはどういうものか」を改めて論議することであって、下手な慰めを口にすることではないだろう。

この論議を巡ってネットに上げられたモノの中でも、内田教授の意見は出色のものだ。それとはまた別に、大学人一般が取り組みべき課題についても、マニフェストが出来ている。こうした考えを広く問い掛けて、高等教育が直面している危機が誰もが知っておくべき社会共通の問題であり、しかもその問題への対処が遠くない将来を方向付けるのだということを認識しておくべきだ。

政治は大学に経営的な効率を突きつけている。つまり、給付する金を減らすが金になる成績を上げろということだ。これは研究機関としての評価でしかなく、土台、教育に要求することではない。ましてや、経済活動とは隔絶した研究領域の意義は全く否定している。そうした領域の学問そのものに、モラトリアムや学歴競争、大学利用のミスリードといった社会問題の責任はない。大学改革にかこつけて政治的経済的な勝ち組の囲い込みに終始するのでは、細々ながら受け継いできた社会的資産が必要以上に痛手を受けてしまう。

そういった論議を誠実に積み上げなければならないのだ。

Filed under: 日日 — cova @ 00:50
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2005/01/26

大蛇に襲われる男

Laocoonte
ギリシアはヘレニズム期とされる彫刻。ギリシア軍の木馬の策略を知ったトロイアの神官ラオコーン Laokoon が、ギリシア贔屓の神々に送られた大蛇に襲われているところ。一所に蛇に巻かれている二人は息子だそうな。

プリニウス Gaius Plinius Secundus 23-79 の記述から、Hagesandros, Plydoros, Athanodoros の三人が作ったもので、ティトゥス帝 Titus Flavius Vespasianus 在位79-81 の宮殿にあったことになっている。1506年にローマ市内エスクィリーノ Esqulino の丘で発見され、現在はヴァチカン美術館に収蔵。

ベルヴェデーレのトルソより、不自然さが少ないポーズとみた。

この彫刻も、バロックと関連付けて考えられることが多い。ま、筋骨隆々としたところがいいわけで、ポーズもかなり力んでダイナミック。主題も神様ではなく可哀相な一神官というわけで、うっとりと見つめながら妄想に浸る対象でないことは理解しますが、かといってすぐにバロックと同じだと言うのは、ちょっと急ぎすぎるように思いますな。

Filed under: 伊國趣味 — cova @ 00:02
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2005/01/24

家具も重要です

「ビフォーアフター」を見ていると思うが、よくまぁあんなせまっ苦しい家ばかりを探してくるもんだ。というか、向うからやってくるのかもしれないが。狭い所為だろうが、必ず収納家具と、大きさが変わるか収納できるテーブル・机をつくるのがお決まりになっている。出来は選ばれた建築家や、その家族の求めるところで変わってくるし、かなり出来不出来がばらついているように思うが、なんにせよ、家具まで作らないといけないんだなぁ、としみじみ感じる、毎度のことながら。

周りを見渡しても、でっかいテレビでゲーム三昧するヤツの部屋の使い方は酷いものだ。ちょっと考えてみれば、部屋の大きさから言って、もてあますに違いない大きな長椅子やテーブルを、空いたスペースがなくなるまで入れてしまう。窓や扉もあることだし、それぞれの使い勝手や意味を無くす物は入れちゃ駄目でしょ、そんな使い方は間違っているでしょ。そう言われれば納得するのだが、後の祭りとはこのことだ。

まず、あれば便利でもめったに使わないし無くても問題ないものを極力なくす、のが大前提なのだが、今の日本ではそれが出来ている家は、一人暮らしのところも含めて決して多くは無いだろう。

家具の配置が上手くいくということは、生活で必要なものが把握され管理されているということで、円滑に家庭生活が営まれている証といってもいいと思う。今ある家具の一部を処分してでも、ちょっと綺麗に部屋を整えたいものだ。特別に設計してもいいが、時には失敗しながらも折をみて家具を取り替えて少しずつ良くして行くと言うのが妥当かもしれない。そんな感じでいい家を目指してみたいなぁ。

Filed under: 住まう — cova @ 01:18
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2005/01/23

突然ながらトルソを

torso del Belvedere

ヴァチカン美術館 Musei Vaticani には大変な点数の収蔵品があって、展示されているものを写真に写すことが許されている。それで目に付いたものを撮っていたら、もう直接目で見るよりもファインダー越しの時間が長くなって、あれもこれもとやや常識を超えた行動に出てしまった。

中でも、古典彫刻はとてもいいものが多く、十分に光のある場所に展示されているので、あれもこれも色んな角度からバシャバシャやったので、それ相応の数の写真が手元に残っている。

ここでは、ベルヴェデーレのトルソ torso del Belvedere と呼ばれているものを取り上げてみたい。石膏デッサンのモデルとしてよく使われているので、どこかで見たような気がするかもしれない。好きな人にとっては、ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti 1475-1564 がデッサンを繰り返し描いた彫刻として知られている。頭も腕もなくなっているので難しいが、ヘラクレスか何かの神話を主題にしているのではと考えられている。

torso del Belvedere - schiena

彫刻のもつ魅力、迫力を感じるが、しかし、冷静に見てみると、胸の部分が大きすぎるし、腹から胸になるところで突然に曲がっている。それに上体をひねっているにしては、下腹部がしっかり正面を向いている。左足が膝のあたりから突然に外へ投げ出されるのにも違和感を感じる。この辺の、特定の部分が無理気味に曲げられてしまうのは、ミケランジェロの彫刻に共通するところだし、ミケランジェロがバロックの先駆けの役割を果たしたと考えられる所以だろう。

そうはいっても、とてもいい、魅せる彫刻であることには変わりない。画像を見るだけでも伝わるでしょ。

Filed under: 伊國趣味 — cova @ 00:21
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2005/01/22

冬の寒い日にふと思い立つこと

とても寒くなって、日本海側では大雪と言う話になっている。そう言えば、雪の多い地方では、町屋も妻入に造るという話があった。大棟が道に対して直角方向になっていて、正面から見て屋根勾配が断面となって見えるような造りになっているということだが、普通町屋は平入、つまり大棟が道と平行で、下がってきた軒先を伝って雨を避けながら歩けるようなことになっている地域が多い。妻入だと隣との境界へ雨が行ってしまうわけで、そこへ樋を受けるか何かしなければならない。土地を眼一杯使おうと思えば、壁を共有してギリギリまで建ててしまいたいから、境界線上で両方から集まった雨水を受けるのは綾になりやすくて拙いのだ。じゃあどうしてわざわざ妻入にする地域があるかというと、雪がどかっと降って、どさっと家の前に落ちてくるのを避けるためだと聞いている。道行く人が危なくていけないというのか。そんな地域では、屋根の上に何本も棒を渡して雪が滑り落ちないようにしているものだが、それでも十分ではないのだろう。

実は、そんな妻入りの町屋の事をあまり知らないことに改めて気付いた。都心の町屋は、通常間口が狭く奥行が長い地割で建てられることになる。面積を計算してみると半分が道路でした、なんてわけには行かず、できるだけ道の割合を減らそうとして間口が狭くなってしまうからだ。そのために、隣との長い境界に余裕を持たせることができず、雪の心配でもなければぴったりくっ付けることになって、勢い家の設計では採光や換気に苦労することになるのだった。その時には、長い奥行の中で適当な位置に中庭を設けるのが順当な解決法だ。この方法は、平入なら丁度いい。平入で奥行が長いということは、それだけ棟が高くなると言うことで、構造的あるいは経済的な問題から、途中に中庭を設けるのが都合がいいわけだ。しかし、妻入だと斜面は長くならず、その心配はないので、採光や換気を気にせずに中庭を造らずにやってしまうことも可能に思えるのだが、果たしてそんなことはするのだろうか? などとぐるぐると与太話が頭を巡った。

それからもさらに想像が続く。地中海沿岸では都心の住宅は中庭形式、中庭をロの字型に囲み、片流れ屋根でその家の屋根に降った雨水はすべて中庭へ集める造り、があたりまえになっているが、これは日本の町屋よりは大き目の地割で、何世帯かが集合して暮らしていることが多かったと記憶している。ひとつの世帯が一軒の家を構えるのが当たり前の日本とは違う。この違いを考えていて、彼の地では、地主は結構な資産家が多く、がっちり土地を握っているのではないか。ひょっとするとほとんどの人が借家住まいで、土地の所有者はほんの一握りで占められる可能性もある。どうして日本は一国一城の主であろうとするのか。そうか封建制度が前提なのか、などと、いつまでも与太与太してしまう寒い日でありました。

Filed under: 住まう — cova @ 01:25
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2005/01/20

加藤ローサのテレビ映り

何だか最近加藤ローサをよく見かけるのだが、コマーシャルで魅せる可愛さよりも、素っ頓狂な表情が印象に残ってしまう。それに、何故だか横顔ばかりが写るし、大体からしてコメントに愛嬌が足りないと思うんだよなぁ。あんなに男どもを惹きつける笑顔を持っていながら。はっきりと要求されないとあの顔は出てこないのだろうか。正直、なんか食い足りない感じ。かなり期待していただけに、反動が大きい今日この頃。

Filed under: 伊國趣味 — cova @ 23:30
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2005/01/19

新しいものを求めてつい毒を吐く

年が明けてからつい嫌味の強すぎるものを書いてしまっている。そして、「ガラスの函」を非難してしまったが、一方でそんな斬り付け方をしながらも、今時のガラス張りの住宅には期待するものがある。「Casa Brutus」に代表されるような、オープンなつくりの個人住宅だ。今更ナンなんだが、そっちの方では応援しようという話だ。

一昔に比べ、この頃の住宅は映りのよい綺麗なつくりの住宅が多くなっている。住宅作家の質が上がっているのかもしれない。以前は目に付いたコンセプト、概念主導の設計はゴツゴツとしていた。そこではこだわりの部分が、どこまでも強引なものでしかなかったが、この頃は人が何を望み何を羨むのかが分かってきたのか、そこで求めている新しい生活が始まるという予感を与え、的確に演出できるような建築家が増えているということだろう。

悪口を言えば、それはショールームのような建物であり、人の目を意識しながら自らの生活を主張するものと言える。凡そ中高年の夫婦が多くのしがらみを切って捨てながら、消費に専念する暮らしをするための家になり易い。しかしそれは、言葉を変えれば、最小限の生活を目指すものではないか、と思えるのだ。移ろい行く世の流れに身を預けながら、ただ喜怒哀楽に暮れ、どこか世をはかなむ暮らしだとするなら、それは日本人がこれまでに慣れ親しんできた人生観、生活観と言えるだろうということだ。

しかも、多くの人の憧れとなり、理想と重なるのなら、非難するべきものではない、勿論。それに、新しい生活観、住宅感が形となって展開しているように思えるし、その躍動感は評価したい。その時には内容の吟味を先送りにしたとしてもいいと感じているわけなのだ。

Filed under: 住まう — cova @ 00:19
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2005/01/17

あれから十年経って思う

国内の自然災害への国の支援は、昨年の中越地震後の対応にしても、集中豪雨へのものにしても、小さすぎ弱すぎると思えてならない。スマトラ沖地震の津波被害は国外のことで、自国の国民の生命や財産を守った上で求められることだと、優先順位をここで敢えて改めると、同胞への支援の大きさが問題として映ってしまう。阪神淡路大震災から十年という時を迎えて色々な思いが脳裏や胸に去来する。

まだ起こっていない、予測できるかどうか疑問の大きい東海地震には結構な社会的同意を作っておきながら、どうして起きた災害にすばやく適応できないのか。災害で潤う企業もあるのだから、またそれはメディアでも大きく非難されていないのだから、突然起こった状況に適応して国として支出や決算を変えていくぐらいのことができていいだろう。地域の、ひいては国の経済活動が弱まれば全体としても損害を被るのだから、できるだけ早く復興するように手を尽くして、悲観的だろう予想の裏をかいて欲しい。

一昔前は、官僚は優秀だと皆が繰り返したが、それは誤った認識、言わば裸の王様を誉めそやす行為でしかなかった。順当な判断を短時間で大量にこなす能力が高いと優秀だといわれる。それについては一日の長があるだろう。しかし、組織の中では別の機能も必要で、特殊な条件下での特異な回答を見つけ出す能力や、平常の状態から異常事態に移ったことの判断といった、決して多くの資産をあてる必要はないが、かといって長期計画では備えておかなければならないものを準備しなければならない。自然災害はそれをチェックするいい機会になる。

非難用具を準備しておくことや、避難所の整備といった物的なもの。行政機構やボランティアの組織をよりよいものにすること。また、非常時の対応を自ら意識して準備・訓練しておくことも是非やっておくべきことだろう。サバイバルの知識を身につけること以上に、知識を生かして判断を下し行動へ移すことが重要になる。その評価を受け入れ生活に反映するべきだ。詰まるところ、どんな人が必要なのかもう一度検証し、予め立ててある予定に沿って行動するのが得意な人ばかりでなく、いざという時によく働いた人を忘れず処遇するルールをはっきりとした形にしておいていいのではないか。逆に言えば、災害時に大して役に立たない場合は評価を下げておくべきだろう。

「あの人は優秀だ」なんて話が、同じ調子で、「優秀」な人達の間で余りにも繰り返されすぎる。だから、いまだに非常事態への対応が芳しくないのだと考えられる。

Filed under: 日日 — cova @ 00:00
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2005/01/16

サッカー選手の輸出を支持!

この間、スペイン・マジョルカの大久保嘉人の活躍を喜んでいたら、今度はあのトルシエの肝煎でフランスのマルセイユに鹿島アントラーズ中田浩二が移籍しそうな話になっている。いゃあ、もっともっと沢山行ってほしいなぁ。

実はもっと気になる移籍話は、イタリア・ウディネーゼへの名古屋グランパスGK川島永嗣の件。

Jリーグで何が不満かといって、ゴールキーパーのプレーほどうんざりするものはない。テクニックもさることながら、飛び出すタイミングの悪さは低いレベルでリーグに共通している。ゲームの流れをどう受け止めているか、ピッチの外で見た時、出て行くタイミングは本人が頭の中で描いているのとどれほど違うのか、その辺をきちんと捉えて常に修正して欲しい。

守備の要だというのに、実況でもほとんど評価の対象となっていないし、注目されていないという現状はわかるが、是非、海外のいいリーグで経験を積んで日本人キーパーの質を押し上げて欲しいと心底願っているのである。

ディフェンダーは、横浜の中沢佑二に脈がありそうなので、こっちにも勿論期待を膨らましているところ。

この調子で、もっと楽しくしてよね。

Filed under: 蹴鞠 — cova @ 16:57
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2005/01/15

スマートフォンが欲しい

今 Nokia 702NK が非常に気になる。何でも「日本初のスマートフォン」らしい。PC と連繋ができるだけじゃなく、自分で携帯端末にプログラムをインストールできるというを知って、急に欲しくなってしまった。携帯電話はそのうちに PDA と一体になるだろうと言われているわけで、中でもノキアは熱心な気がしていたが、「まだスケジューラや電話帳が便利に使えるぐらいだろう」としか考えていなかった。でも、プログラムがインストールできて、どうやら出回っているモノの中にヴォイス・レコーダの管理ができるものがあるらしい。MS-Word/Exel のファイルを閲覧できるのもありがたい、実際。

というわけで、リンクを貼り付けて

Filed under: 日日 — cova @ 22:18
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