テレビ局のご都合から自由になるはずだったが、またしてもテレビにしてやられている。録画録画に追われるばかり。日に三本も四本も放映されれば、観るのも大変だし、HDD もすぐに満杯になろうかというものだ。それに、一旦番組表を眺めだせばチェックに長い時間がかかる。音楽番組やドキュメンタリー、ニュースも観だすと面白い。建築関係のもあれば、世界の都市を紹介する番組、ドキュメンタリーもある。それに、Jリーグもちゃんと流しているし、ヨーロッパや南米のワールド・カップ予選も放映される。DVD レコーダを買う前にウンザリしていたヴァラエティー番組を見る暇がなくなったのはいいが、かえって自分の時間の使い方がいびつになる始末。仕方がないからこのまましばらく続けてみるつもりだ。
そんな状況なので、録画したものをどんどん観ていかなければならない。だから毎日のように映画を観る。なんだかんだ云いながら楽しむ。それはただ何となく見ているようなものだが、それでも自分なりの課題が実はある。それはストーリーテリングだ。ドラマツルギーと云ってもいい。つまり、どうして物語が成り立つのか。何が必要で、どんなことが艶を出し、どうして纏まるのか。キャラクターなのか、演出なのか、台詞なのか。それを知ってどうする、と問われても困るが、普段からずっと建築の静的な構成ばかりだから、ダイナミックなものを組み立てるのに戸惑いを覚える。動くものを創って、たとえ片時でも強い印象を残したい、そういう気持ちがあるのだろう。いつもきちんとしたものを作ろうとして、そうするものだと決めてかかっている。すぐに一つひとつをギリギリまで削る算段を立てるのだが、イキモノを何にもないところから産み出すには、「生」を与えることから始まるに違いない。削るより先に種をつけなきゃいけない。しかし、できる時もできない時も自分が何をやっているのかさっぱりわからない。そこで目をつけるのが物語り、ストーリーテリングという訳だ。
もしも会得できたら、イタリア・バロックを語ってみたい、と思っている。例えば、カルロ・マデルノの物語だ。田舎から出てきた職人カルロが、建築に情熱を傾けて、ひとつまたひとつと仕事を進める。カルロは、建築家仲間から必ずしも高い評価をもらうわけではなく、不遇に喘ぎ、私生活は崩壊してしまう。仕事では、やりたい放題のドメニコ・フォンターナから無理難題を吹っかけられる。しかし、ドメニコの仕事を足懸かりにキャリアを積み上げ始め、ついにサン・ピエトロの大仕事を得る。後に有名建築家になる甥フランチェスコ・ボッロミーニや、天才肌のジャン・ロレンツォ・ベルニーニを使い、新しい時代を切り開いていく。やがて大仕事を終え、地位を築いたカルロは、密かに追い求めていた奇想天外な建築の実現に執念を燃やすようになる。・・・
学術的なことや史実に拘らずに物語らしい物語を創ってみたい。そんな想いがある。